先日放送されたアナザースカイⅡは「世界の学校SP」でした。過去に放送された世界の学校にまつわるゲストのストーリーを紹介していました。
参考 10月30日放送の「アナザースカイⅡ」は古市憲寿の世界の学校SP!その中で気になった点をピックアップしました。
目次
講義は少人数。一人の教授に学生は1~3人。
正直、緊張しそう。だけど、真面目に聞くんじゃないかな。目の前で寝るなんてことはできないでしょう。それに、理解できずに取り残される確率は減りそう。
普通の大人数で授業を行う問題点は、生徒それぞれの理解度に合わせられないこと、また理解度が認識できないことにあると思う。
少人数ならそれが解決するんじゃないかな。だたしこの形態がとられたのは大学での講義。小学校から高校までをこの形態で行うのは無理があるから、フィンランド教育のように理解度テストをたまにするのが良いのかな。
ギャップイヤーとは
ギャップ・イヤー(英: gap year)とは、高等学校卒業から大学への入学までのモラトリアムのこと。英語圏の大学(特に英国の大学)の中には入試から入学までの期間をあえて長く設定して(初夏卒業・秋入学)、その間に大学では得られない経験をすることが推奨されている。この時期にアルバイトなどをして今後の勉学のための資金を貯める人も多い。
Wikipedia
このギャップイヤーと言う言葉を初めて聞きました。
これって良い取り組みだなと思います。
小学校からずっと学び続ける日々だったこどもたちに、いったん立ち止まる時間を与えられるのは良い。
それに、大人になってからも個人的にギャップイアーしようって思えるかも。休むのがダメだ教えられてきた日本人にとっては、取り入れられずらいかもしれないが、周知の事実となれば徐々に変わっていくかも。
良いか悪いかはおいといて、皆勤賞をとりやめる学校がでてきてるらしい。
参考 “元気の証”の皆勤賞は今の時代には不要? やめる学校がじわじわ目立ってきた理由もし、私の子ども時代にギャップイヤーがあったら、大学へ行く前に離れ離れになる友達と思い出作りをするだろう。アルバイトも経験するかな。もしかしたら、将来なにを仕事にしてどんなふうに生きて行こうかと考えられるかもしれない。
友達のいない生徒がいきなり踊り出した!みんなの反応は?
ミュージカル俳優で歌手の山崎育三郎さんは、16歳のとき1年休学しアメリカへ語学留学へ行くも友達ができず独りぼっちだった。
3か月後、学校でダンスパーティーがあった。柱のかげで見ていたが、突然センターに立って踊った。
みんな唖然として間があった。
そして、突如盛り上がり、みんなのテンションが上がった。
次の日から、学校へ行って廊下を歩いていたらあちこちからランチの誘いが来た。
これ、日本だったらどうなっていたでしょうか?
アメリカの学生たちは、山崎さんの突然の変わりように驚きつつも、認め、興味をもち、好意的に見ていたけれど、これが日本だったら?
他と違うことをする人を排除しようとしないだろうか。
もしくは突然のキャラ変に拒否反応を示すのではないだろうか。
悲観的な見方かもしれない。けれど、金子みすゞさんの『私と小鳥と鈴と』の詩にある「みんなちがってみんないい」という言葉は浸透しているが、言葉としてのみの浸透で、現実ではまだまだ浸透できていないように思う。
授業は週に2、3回の出席でOK。なぜなら・・・
社会学者で作家の古市憲寿さんが、ノルウェーの大学では、週に2、3回の出席で良かったとおっしゃっていました。
なぜなら、生徒への要求が少ないからだそうです。
結局のところ、自分の人生を背負うのは自分ですよね。
どう選択するかは本人の問題なので、生徒への要求が少ないのは当然だと思います。
昔の寺子屋も生徒への捉え方に関しては、昔の方が柔軟だったんじゃないかな。
参考 【江戸時代を学ぶ】 「寺子屋」の実態 第1回 〈25JKI00〉知見を広めるために留学しよう?
古市さんがおっしゃっていました
。
どうしても日本にずっといると、日本のルールとか日本人の在り方とか、いろんなことが全部それしかないって思いがちだと思うけど、そうじゃなくて実はこれだけ人間の社会は多様なんだってことがわかったので、留学してよかったポイントだった。
私自身は留学経験はないけれど、魅力的なお話だと思いました。
でもこの観点は、日本にいても工夫次第で多少は改善されるのではないかなと希望を持っています。
日本の教育も変わっていっています。
SDGsの取り組みや、教育機会確保法、学習指導要領の改訂など、従来の教育が変わる動きが見えます。
教育機会確保法とは。
不登校の子供に、学校外での多様な学びの場を提供することを目的とした法律。正式名称は「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」
コトバンク
教育機会確保法は、学校復帰を大前提としていた従来の不登校対策を転換し、学校外での「多様で適切な学習活動」の重要性を指摘。不登校児童・生徒の無理な通学はかえって状況を悪化させる懸念があるため、子供たちの「休養の必要性」を認めた。
コトバンク
教育機会確保法にもあるように、「不登校」の概念が変わってきています。もうこの言葉自体が古くなっていくと思います。
「あえて学校に行かない」という選択をとることも、これから認知されていくと思います。
知ってる世界は多いほうがいい
これは、私も同意見です。
世界が学校だけになると、本当に窮屈な思いをします。
私の学生時代は、学校が全てで、学校の友達からの評価が一番大事でした。
親がどう思うとか、先生がどう思うとかより、友達からどう思われるかっていうのが一番の重要事項でした。
今なら、私自身が私のことをどう思うかが大事だと思えます。
だけど、10代の私は狭い世界で生きていて、広い視点をもって自分自身のこと、周りの事を見る力はありませんでした。
そういった点でも、学校以外のコミュニティを持つことは大事だと思います。
なにかあったときに、戻れる場所は家庭だけじゃなくて良いと思います。
信頼できる場所をいくつも作れていたら、人生の安心度は高まるはず。
我が子にもそんな場所を持ってもらいたいので、学校へ行ったり行かなかったりしながら、違う世界も見てもらいたいと思います。
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