勉強しなければだいじょうぶ
『勉強しなければだいじょうぶ』は、絵本作家の五味太郎さんのお話を、内海陽子さんが聞き手となり展開されていく。
この本を読むと、今まで持っていた教育に対する固定観念や価値観がひっくり返されると思う。
『勉強しなければだいじょうぶ』っていう、本のタイトルがまさにそう。だって、「勉強しなさい」と親に言われて育ってきたのに、反対に「勉強しなければだいじょうぶ」ってどういうこと?何が大丈夫なんだろう?
「勉強」と「学習」は違う
まず大前提にあるのが、「勉強」と「学習」は違うということ。
五味太郎さんが仰る「学習」というのは、
「学ぶ」というのは、どう考えたって自動詞です。空海さんが学ぶ。僕が学ぶ。陽子さんが学ぶ。学ぶ主体があるのですね。「習う」というのは、僕が興味あることについて、僕が辿る、沿う、真似る。習いながらアレンジメントしていく、つまり再構築していく。そのときに、沿いきれないものがたくさん出てくる、それが個人のさらなる学習作業です。
『勉強しなければだいじょうぶ』
そして、「勉強」とは、
翻って、今の子どもたちの義務になってしまっている勉強という学び方は、根本がぜんぜん違いますよね。「勉強する」という言葉の使い方で、曖昧にしています。
「勉強」という言葉自体、「勉強させる」「勉強させられる」というニュアンスなのね。つまり個人的必然のないままに、ということです。聖徳太子に興味がないまま十七条の憲法なわけです。そのうち興味が湧くであろう、湧いてもらわねば困る、という具合。なかなか湧くもんじゃないのにね。そんなことに。でも試験なのさ。だから仕方なく憶えるの。
『勉強しなければだいじょうぶ』
つまり、「学習」には主体性がある。社会で決められた目的や目標があるのではなく、好きで勝手に学ぶのが学習。それは、自分の好奇心に従い、自分の為にする学習なので、人生を豊かに愉しくしてくれるもの。
そして「勉強」とは、目的や目標に向かって、個人的な興味のないままに、成績や試験のためにやらされるもの。
勉強人と学習人、どちらの人生を歩みたいだろう?
勉強人と学習人、どちらが楽しい人生なんだろう?
生きていると実感できるのはどっち?
どちらを選ぶかは自由。好みです。ただ・・・
私の場合
私自身の経験からいうと、圧倒的に学習する人生、学習人でいたいと思っている。
学生時代は、完全なる勉強人だった。それなりに良い成績を残そうと勉強していたが、大人になった今は何も覚えていない。なぜなら興味がないままに試験のためだけにしていたために、あんなに膨大な時間を勉強についやしたのに、ほとんど身につかなかった。
だいぶ大人になった今、英語の学習をしている。学習の仕方も自由、試験もないし宿題もない。興味のおもむくままに英語学習をしている。なんの役に立つのかも曖昧である。でも、楽しい。誰に求められるでもなく、自分の欲求に従っているだけ。だから楽しい。
我が子の場合
我が家はほぼホームスクールなので、私が子どもと過ごす時間は長い。
我が子を観察していると、自然と学習していることに気づく。
字を読むのも絵本で覚えたし、簡単な漢字は漫画で覚えている。
算数は、生活の中で覚えることもある。食卓に上がるフルーツの数を家族で分けると一人何個になるか?など。
算数のドリルをしていると、そこから英語へ、宇宙の話へ派生することもある。
興味のおもむくままに知りたい事を知ろうとすると、「国語の時間なら国語だけを学ぶ」という学校の教室スタイルとは違う学び方をする。
子どもが目にするモノ経験するモノから、多くのことを学んでいるように見える。私は自主的に学習する子になってほしいと思っているので、『勉強しなければだいじょうぶ』を読んで、自分の固定概念を見直した結果、無理やりやらせる勉強は必要ないかもと思っている。
その一つが「宿題」だ。
やりたがらない科目の宿題を、無理やりやらせることに疑問がわいた。
無理やりやっても、ただの作業だ。宿題をしたという実績を作るだけで、身に着くことはないだろう。子どもの興味がわかないなら、やっても仕方がない。なので、宿題はやったりやらなかったり、本人の希望を聞いて取り組んでいる。
それより、遊ぶ時間、休む時間、穏やかに過ごす時間が必要でないかと思っている。なので、我が家はホームスクールといっても、ほとんど遊んですごしている。
養老孟司さんの講演会に行ったとき、「小学校の授業で教わることは、中学生の知能になればすぐに理解できるよ」と仰っていた。言われて見ればその通りだと思う。焦る必要はない。
勉強しない子どもの将来はどうなる?
将来とは、その名の通り未来のことである。今、未来がどうなるか誰にもわからない。ITが進むと仕事がなくなる?どんな仕事が生まれている?その時代に必要な能力とは?すべてが不明である。
将来がどんな時代になっても必要となる能力は、自分で考えられる能力だと思う。
そのためには、自分と向き合う時間が必要ではないだろうか。朝早くから学校へ行き、ほとんどの授業は教室の中でただ先生の話を聞くだけ、そして先生から良い評価をもらうことが大事だと思う方が、それで将来は本当にやっていけるのかな?と不安になる。
五味太郎さん自身も、勉強をしなかったそう。必要性も感じないし、そんな暇もなかったと仰っている。面白いお子さんだったんだろうなと想像する。
『勉強しなければだいじょうぶ』巻末Q&A
『勉強しなければだいじょうぶ』の巻末に、五味太郎さんの講演会やお放し会で出た質疑の代表例が載っている。
義務教育の内容ぐらいわかっていないと、将来困らない?/机に向かう習慣は大事では?/子どもが親の言うことを聞かなくて困る/学校で集団行動に慣れておかないと困らない?/五味さんのおっしゃる通りにすると親はヒヤヒヤしますが?
などなど、保護者の方々の深刻な質問に、軽やかにズバッと五味さんが答えている。面白くてクスッと笑える。五味さんテイストが短文で感じられる部分でもあり、何度も読み返したお気に入りの章だ。
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