長男が新1年生になり、先日入学式へ行ってきました。
何を見せられているのだ学校紹介
入学式で6年生が学校紹介として演劇風に発表してくれました。
「○○小学校はこんなところだよ」
「おいしい給食!」
「やさしい先生!」
え?それって、子どもの主観で言ってる?
言わされてる感満々なんですけどー。
「給食」も「先生」も人によって感じていることは千差万別でしょ。
知り合いの教育委員会の人にこの話をすると、毎年同じことをしているみたいです。
つまり、完全に先生コントロールの元のセリフじゃん。
先生自ら、「はい、あなたは「やさしい先生」と言いましょう」って言ってるんですよね。
これって、変でしょ。
実社会で、上司が「新入社員には「やさしい上司」と言いなさい」と言ってきたら、オイオイどの口が?いや実際にやさしい上司だとしても、そんなん決められたくないんですけどー。
6年生たちは、この日のために練習してくれたんだと思います。はっきり大きい声で発表してくれていました。複雑な気持ちです。
昔から変わらない「思いやりのある子、元気な子、やる気のある子」の標語
教室に入ると、黒板の上に「思いやりのある子、元気な子、やる気のある子」という標語?スローガン?が掲げられていました。
うん、30年前の私が通っていた小学校でもそんなのあったなー。
時代は止まっているのか?
この標語って、「こういう子が望ましい」ってことでみんなが見えるよう黒板の上に掲げてるんですよね。
「思いやりのある子」はわかります。暴言暴力はダメでしょう。他人に対してどう振舞うのが良いかってことで、そりゃ思いやりある行動はいいよね。
でも、「元気な子、やる気のある子」って、元気なかったらダメなの?やる気なかったらダメなの?と思った私です。
大人も元気ない時ありますよ。やる気ない時ありますよ。ごはん作るのしんどくてお惣菜に頼る日だってあるでしょうよ。
しんどいのに、やる気だせ!とか、元気ないの良くないよ!なんて言われたら、もう絶縁レベルじゃないですか!?
でも素直な低学年の子たちなら、元気のないクラスメイトを見たら、「ダメじゃん」とか思っちゃわないか?
なんか危険な標語だなぁ。と思うわけです。
いっそ「善児」ってのはどうでしょう?
先日、お寺に行ってそこのお手洗いを借りたんです。
すると普通は「女」と「男」と表示されているところを「善女」「善男」って書いてあったんです。
「善女」に入る前、一瞬考えました。「私、ここ使っていいんかいな?」
つまり、私って善女か?と一瞬にして省みたんですよね。
この「善」って言葉、限定的でないし、何を持って善とするか自分で自分に問うことができ、また自分の行動を省みるきっかけになる言葉だと思うんですよね。
意味がふわっとしてて、受け取る人の自由にできる、なかなか良い言葉だと思うんです。
黒板の上に掲げる標語は「善児」でどう?ってちょっと市の意見箱に投稿してみようと思います!
叶わなくても意見を表明することに意味があると思います。
最近、失敗を重ねることが怖くなくなってきたんです。失敗しても経験を得られるから。
なので、どんどん自分の意見を伝えていこうかなって思ってます。
なにより子どもが通う学校環境が良くなってほしいですから。
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