先日、知らない女性から怒鳴られました。
その女性とは、狭い林道を走っていたら、向かいからやってきた車の運転手です。
離合場所が近くにあると認識していなかった私にイライラしたみたいで、何か合図をされたので「なんですか?」と聞いてみたら、怒鳴り返されました。
私、本来、怒られるのが嫌いなんです。
いい年だけど、泣くかもしれないくらい怖いです。
でも、その時は、その女性の怒り具合にただびっくりして、謝って、彼女の言う通りにしました。
不思議と冷静でした。怖いとも思いませんでした。
怒られて悲しくなかった経験って初めてかもしれません。
なぜ冷静でいられたのかというと、彼女の中にある『苦しみ』が見えたからなんです。
怒りの根本にあるものって『苦しみ』なんです。
『怒りの前には苦しみがある』という考えは、仏教から知りました。
この概念は、10年以上前、仕事のストレスで悩んでいた時に出会いました。
彼女の怒りを見て、今まさに『怒りの根本には苦しみがある』ということを体現した出来事が起こっていると思いました。
彼女の表情は見えませんでしたが、たまっていた思いが爆発したような言いだし方、怒りMAXの声色から、彼女が苦しみの中にいることを感じました。
その彼女の苦しみを生んだ原因は私なんですけどね。
「すみません」と思うべきなのかもしれませんが、思わないです。
『ただそういう状況になった』とだけ思うようにしています。シンプルに。
誰が悪かったのか、そこにジャッジは入れなくて良いのかなと思います。
ある出来事に対して、怒りで反応した人がいたというだけ。
そして同時に、自分自身も省みました。
私も、家でこどもたちに怒っているときは、こんな感じなんだろう、と。
怒りをぶつけるって、相手を攻撃しているのと一緒。
攻撃したくて怒っているのではあるけれど、攻撃された人の見え方というのを知りました。
大人になると、親が子に叱るような叱られ方ってしないです。
今思えば、彼女に怒鳴られることで、ある種の懐かしさも感じていたかもしれません。
怒りって何なんでしょう。
誰も味わいたくない感情なはずなのに、頻繁に味わっている感情。
刺激を求める脳が、怒りという刺激を求めているから、なかなかあらがえないという話も本で読んだことがあります。
アンガーマネジメントというのも読んだことがあるけれど、『6秒待ったら怒りのボルテージが下がる』というのが私にはできません。
カッとなったらすぐにドカーン!ですよ。
だけど、そのカッとなる一瞬前に、人は違う感情を持っている。
『悲しみ』だったり『不安』だったり、そういった『苦しみ』を持っている。
それが瞬時に『怒り』として表現されている。
自分で、自分は今なにを感じているのか、それを見つめる習慣が必要。
6秒数えて待つより、「私は今怒っている。でも本当の気持ちは何?」と自問する方が、私には合っているかもしれません。
自分に正直になれないと、本当の気持ちはわかりません。
それが、とても人に言えるような感情ではなかったとしても、心の中だけは正直に言わないと、つらくなる。
『ほんとうの自分の気持ちに気づくこと。』
私にとって、とてつもなく必要なことなんだと、神様が教えてくれた出来事だったのだと思います。
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